2007年【文月号】
vol.81

 賑やかな出囃子にのって、顔には「半面」、頭には「ボテかづら」をつけた旦那衆が登場。博多弁でおもしろおかしく喋り、時には風刺をまじえ、最後にずばっと“落ち”をきかせて、聞いている人々を笑わせたり、気分をスカッとさせたりする「博多にわか」は、商人の町、博多ならではの伝統芸です。
 「にわか」は、仁和加、仁○加、仁輪加、爾和歌など、様々に表記されますが、その語源は「俄狂言」の略とされ、江戸時代から明治にかけて大いに流行しました。京、江戸、大坂などの都市の祭礼に出た町人が即興狂言を演じたものに始まり、島原や吉原などの遊郭でもさかんに行われました。やがて全国に広まりますが、いずれの土地でも、素人が演ずるというプライドがあり、白粉をつけず、ボテかづらをかぶって演ずるのを原則とします。
 博多にわかもこうした特徴を受け継いでいますが、博多にわかの特徴である、あの仁○加のお面(半面)は、天保(一八三〇〜四三)の頃、川端町のにわかの名人岡崎屋嘉平が考案したものと伝えられています。
 博多にわかの形式には、複数の演者による即興劇「段物」、二人で台詞を応酬する「掛合い仁和加」、一人で演じる「一人仁和加」があり、かつては、同好の人たちが集まって“組”をつくり、盆には、間口の広い商店の店先や、町の辻に即席の舞台を造ったりして演じ、拍手喝采を受けていました。今でも、箱崎の地蔵盆などで見ることができますが、現在では、落ちの部分が独立した「ひとくち仁和加」が主流になっています。
 この季節の仁和加をひとくち。
 「山笠かついでオッショイオッショイ 博多の者は幸せバイ」
 「ソラーそうクサ、流れ流れの町内ごとに、久留米餅の竪て縞模様と柄模様のハッピバ着けて、ハッピー(幸福)ハッピ(法被)福多か(福岡)」
  御田 酔月
 昭和に入り、ラジオで博多仁和加がさかんに放送され、博多仁和加の振興に大きな力となりましたが、それとは裏腹に、ラジオ・テレビの普及は全国の言葉を均一化し、味わい深い博多弁独特の「間」やイントネーションで、仁和加をしゃべる人は、ほんとうに少なくなりました。

博多にわか
【篠笛】
 東京の五月の風物詩といえば神田明神、山王日枝神社の天下祭、浅草の三社祭に鳥越神社の例大祭。今年もいくつか見物に行きました。祭りを盛りあげるのがお囃子。東京の葛西系のお囃子は五人囃子が基本で、笛、大太鼓、摺り鉦に小太鼓が二つ。そのなかで私の心をつかんで離さないのが、唯一の旋律楽器である、篠笛です。
 長唄に「笛になりたや篠笛に、笛は思いを口うつし」とあるように、笛の遠音はどこかなつかしく、言葉を越えて人の叙情に直接訴えかけてきます。人の吐く息が、一本の竹の管を通過するときに、音になる。人それぞれの思いが、音になる。源氏物語をはじめ、幾多の文学作品にも、笛の音によって人の心が通じ合う場面が描かれています。
 これから夏本番。弘前ねぶた、青森ねぶた、秋田竿灯、能代ねぶながし、西馬音内盆踊り、今度は東北に舞台を移して夏祭が華やかに繰り広げられます。
 篠笛の音に誘われて、またどこかへふらりと旅に出てしまいそうです。

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