2007年【葉月号】
vol.82

 八月二十三日前後には、日本中の多くの地域で地蔵盆や施餓鬼会として無緑仏を供養する行事が行われています。萬盛堂歳時記では博多の夏の行事として中州の飢人地蔵のお施餓鬼(vol.10)や大浜の流潅頂(vol.22)を紹介しましたが、唐人町でも八月の末に地蔵様の祭りが盛大に行われています。
 唐人町商店街を西に通りぬけたところにある成道寺は、寛永十八年(一六四一)安誉呑益上人によって創建された浄土宗のお寺ですが、その山門をはいった左手に「八兵衛地蔵大菩薩」と額のかかったお堂があり、素朴な風貌の石の地蔵様が蓮台の上にどっしりと座っていらっしゃいます。この地蔵様には次のような由来があります。  江戸時代のこと、森八兵衛という肥後の浪人が、父親の行方を捜して福岡まで来ました。福岡城下唐人町の成道寺の過去帳に父の戒名を見つけた八兵衛は、失意の内に観音堂を建立し、父の菩提を弔いながらひっそりとくらしていました。
 元禄七年(一六九四)の末、須崎で大火事があり、各町から火消しが出勤しました。この時、唐人町と他町の火消し同士が乱闘となり、相手方に三人の死者が出ました。翌日、町奉行から下手人を出すように言われた唐人町の人々は困り果てます。その時、八兵衛が「火をつけたのも、人を殺したのも、全部自分の仕業です」と名乗り出、町の人々の危機を救ったのです。元禄八年正月三日、八兵衛は刑場の露と消えました。町の人々は八兵衛の地蔵を建立し、後世までも弔いを絶やさないことを誓いました。
 現在も八兵衛地蔵の夏祭りは「唐人町消防夏祭り」として、唐人町中年会が主催して盛大に行われています。中央消防団の七つの分団によるまとい振り、消防太鼓の奉納はとくに目を引きますが、つい先年までは博多消防団のはしご乗りも奉納され、消防法被を身にまとった八〇〇人からの消防団員の参拝があったといいます。八兵衛さんが町の人の身代わりとなってから三〇〇年以上の歳月、唐人町の人々と火消しの人々が、八兵衛さんの恩を忘れず、供養が続けられていることに、心がホッと温まるのです。

八兵衛地蔵
【さるめさん祭り】
時勢はどうでも世間はなんでもおどりコおどたんせ
天地開闢天の岩戸も踊りで夜が明けた (西馬内盆踊り)

 伊勢市の猿田彦神社の境内に、佐瑠女神社という小さな祠があります。御祭神は天宇受売命、天の岩戸の前で神楽をし、八百万の神々を大喜びさせた女神です。みちひらきの神・猿田彦に嫁いだ神代の踊り子は、特に芸能関係者からの崇敬が篤いことで知られています。
 先月、伊勢への旅で、久しぶりにこの神社に参詣することができました。しとしと降りしきる雨の中、静かな心で手を合わせると、慌しい日々に休止符を入れられたような穏やかな気分に。なぜだか、心を見透かされるような感覚になったのも、この神様ならではの神業かと、ハッとしました。
 八月十八日は、年に一度のさるめさん祭りが斎行されます。宵の境内では、暖かな灯火に照らされた景色の中、芸能の祖神にちなんだ行事が楽しめるそうです。
 古事記を片手に神代の地を訪ねる旅も、趣があっていいものです。

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