2005年【葉月号】
vol.58

 博多のお盆の子どもたちの楽しみは、井戸水でつめたく冷やした西瓜と「いけどうろう」でした。
 お盆が近づくと博多の商家のニワ(土間)の片隅には、七五×九〇センチくらいの四角囲いの箱庭がつくられました。この箱庭のことを「いけどうろう」といいます。いつ頃始まった風習なのか、なぜ「いけどうろう」というのかはっきりしませんが、お盆につくり、線香やロウソクを立てたり、大根の輪切りを刳りぬいて菜種油、燈芯を入れ、いけどうろうに灯したりする家もあったところを見ると、この箱庭は盆の供養と深い関係があったのでしょう。
 箱崎浜や東公園からギンズナ(細かい砂)をとってきて、箱の中に丘や谷や川や池を形作り、松苗や枝振りの良い豆盆栽式の樹木などで植え込みを作り、橋や石灯籠や鳥居や祠を配し、かわいらしい土人形を置きました。人形は博多人形師が手遊びにつくったもので、摂氏七〇〇度くらいの楽焼きに着色した素朴なひねり人形です。いけどうろうの後ろには、忠臣蔵や高田馬場の仇討ちの場面などのキリヌキ絵が飾られました。絵は和紙の裏打ちがしてあって、それを屏風のように立てるのです。
 数年前、太宰府天満宮の側の発掘現場から、兵隊さんの格好をしたいけどうろうの人形が出土しました。日清、日露戦争の後には川の両岸に兵隊人形を立て、戦わせたりして遊ぶことが流行しました。当時いけどうろうの人形はほとんどこの兵隊人形だったといいます。
 いけどうろうの人形も時代の空気を反映して変遷してきました。現在、いけどうろうをつくる家は、博多ではもうほとんどなくなりましたが、博多町屋ふるさと館などで、「なつかしい」行事として、子供たちが思い思いにつくったいけどうろうが、人々の郷愁を誘っています。


【桐箪笥】

 祖母の形見の一つに桐箪笥があります。曾祖母から受け継いだものらしく、ずいぶん黒ずんで、取手が何度も付け替えられている年代物です。姿はぼろぼろになった箪笥ですが、このまま放置しておいてもかわいそうと、再生工場に預けることにしました。
 引き取りの際に「家という箱よりも丈夫で身軽。それに家族の歴史を物語ってくれるものですよ。いってみれば家族の風景がつまった収蔵庫ですからね。」という業者さんの言葉にはっとさせられました。
 桐箪笥といえば、ものを保管するというイメージしかなかったのですが、目に見えないものまで伝えてくれるという視点で見ると、ずいぶんと見方が変わるなと思ったからです。まるで、天国から祖母がほほえみながら見つめてくれているような気がして、うれしくなってしまいました。
 工場へ向かう準備が整った箪笥に「帰ってきたら、また一緒に暮らそうね。」と独り言をささやいて送り出したのでした。


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