〜稲作のはじまり〜 実りの秋です。豊葦原の千五百秋の瑞穂の国。葦の原がひろがり、秋にはみずみずしく美しい稲穂がたわわに実る国。神代の昔からこの国はそんな国だと考えられてきました。
11月23日は、現在は勤労感謝の日として国民の祝日になっていますが、古来、新嘗祭として、天皇陛下がその年新しくとれた米を神様にお供えになり、また神様とともにお召し上がりになるという祭儀が行われてきました。即位後はじめての新嘗祭を大嘗祭といい、十数年前の古式ゆかしい儀式を記憶している方も多いことでしょう。
このように稲作は日本の根幹であり、稲作のはじまりによって、それまでとは違う社会のしくみや文化が誕生し、その後の日本の歴史を形成してきたのです。その大事な稲作のはじまりを解明する遺跡「板付遺跡」が福岡空港の近くにあります。
この貴重な遺跡の解明の仕掛け人は、中原志外顕さんという考古学好きのテーラーの青年でした。昭和25年1月の寒い日、中原さんは板付のゴボウ畑のゴボウを掘った深い土の中から縄文時代終末期の夜臼式土器と弥生時代初頭の板付T式土器の破片を発見したのです。二つの時代の土器が出る遺跡は稲作の起源を解明する重要なものとして、長い間発見が待ち望まれていたのです。
もっとも遺跡中心部にあった通津寺境内からは、幕末、広形銅矛五口が出土しており、大正5年には付近から弥生時代前期の甕棺や銅剣・銅矛が出土していて何かの遺跡だとは考えられていました。
昭和26年から始まった学術調査は、弥生時代開始期の集落構造を明らかにし、そこで稲作農耕が行われていたこと、そのルーツが朝鮮半島にあることなどを証明しました。日本最古期の田んぼには弥生人の足跡も残っていました。
竪穴式住居や環濠、赤米の田んぼ。復元された弥生のムラの上空を飛行機が飛び交い、現在と2400年の昔を結びます。