2004年【霜夕号】
vol.49



 


 稲作のはじまり〜 実りの秋です。豊葦原の千五百秋の瑞穂の国。葦の原がひろがり、秋にはみずみずしく美しい稲穂がたわわに実る国。神代の昔からこの国はそんな国だと考えられてきました。
11月23日は、現在は勤労感謝の日として国民の祝日になっていますが、古来、新嘗祭として、天皇陛下がその年新しくとれた米を神様にお供えになり、また神様とともにお召し上がりになるという祭儀が行われてきました。即位後はじめての新嘗祭を大嘗祭といい、十数年前の古式ゆかしい儀式を記憶している方も多いことでしょう。
このように稲作は日本の根幹であり、稲作のはじまりによって、それまでとは違う社会のしくみや文化が誕生し、その後の日本の歴史を形成してきたのです。その大事な稲作のはじまりを解明する遺跡「板付遺跡」が福岡空港の近くにあります。
この貴重な遺跡の解明の仕掛け人は、中原志外顕さんという考古学好きのテーラーの青年でした。昭和25年1月の寒い日、中原さんは板付のゴボウ畑のゴボウを掘った深い土の中から縄文時代終末期の夜臼式土器と弥生時代初頭の板付T式土器の破片を発見したのです。二つの時代の土器が出る遺跡は稲作の起源を解明する重要なものとして、長い間発見が待ち望まれていたのです。
もっとも遺跡中心部にあった通津寺境内からは、幕末、広形銅矛五口が出土しており、大正5年には付近から弥生時代前期の甕棺や銅剣・銅矛が出土していて何かの遺跡だとは考えられていました。
昭和26年から始まった学術調査は、弥生時代開始期の集落構造を明らかにし、そこで稲作農耕が行われていたこと、そのルーツが朝鮮半島にあることなどを証明しました。日本最古期の田んぼには弥生人の足跡も残っていました。
竪穴式住居や環濠、赤米の田んぼ。復元された弥生のムラの上空を飛行機が飛び交い、現在と2400年の昔を結びます。


板付遺跡
【七五三】 11月15日
 

正装したお父さんやお母さんに手をとられ、着物姿ではにかむこどもの笑顔がみられる季節になりました。七五三です。現在では11月の吉日にされますが、もとは11月15日と日が定められていることをご存じでしょうか。
七五三がこの日に定められたのは、江戸の将軍家光公の頃です。きっかけは病弱だった四男のために日を選んで儀式を行ったことにはじまります。家光公が11月15日を選んだのは、当時盛んだった二十八宿暦によったと伝えられます。この暦は、弘法大師が中国から持ち帰ったもので、月の通り道にある二十八の星座(宿)をもとに吉凶を占う暦でした。
二十八宿暦では、15日は鬼宿日というお釈迦様が生まれた最良の吉日にあたります。この日に我が子の成長の祈りを捧げた厚い思いが、やがて庶民にも広がって定着したものと考えられています。
現代ではこの暦の感覚は薄れていますが、本来はこういう意味があることを知ると、日本の風習の奥深さにあらためてハッとさせられます。


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