2004年【師走号】
vol.50



 
 大博通り、博多駅を正面 に見て左手に続く長い土塀の一角に、巨大な石塔の頭が見えます。この石塔群は、福岡藩二代藩主黒田忠之と殉死した家来たち、三代光之、八代治高(はるたか)の墓です。忠之の墓は個人の墓では高野山にある徳川二代将軍秀忠夫人の墓に次いで、日本で二番目に大きい墓ということです。二代藩主忠之は黒田騒動の当事者としても知られていますが、真言密教に傾倒しこの寺の大檀越になっています。
 大同元年(八〇六)、等から帰国した弘法大師は、彼の地より持ち帰った五鈷・金剛杵(こんごうしょ:密教の法具)、仏舎利を安置する一寺を建立し、密教が東漸し長く将来に伝わるようにとの願いを込め「東長密寺」と名付けたと伝えられています。護摩堂(ごまどう)の本尊千手観音立像は平安前期の作で、国の重要文化財に指定されています。寺宝の「弘法大師筆千字文」は、本能寺の変の時、織田信長が床の間の飾りにしていたものを、折から茶会に召されていた博多の豪商島井宗室が、とっさに取って博多まで持ち帰ったというドラマが語り継がれています。
 山門の傍らにある瀟酒な建物は、博多の通人としてしられる太田万歳楼袖彦こと豊後屋永蔵(博多上東町・製蝋業)が、名古屋以西の商人より財を募って、名古屋の堂宮大工伊藤平左衛門にて建てさせた六角堂で、中の六角形の厨子扉には仙がい和尚をはじめ当時の文人墨客の書画が描かれています。この厨子実に輪蔵で、これを回転させることによって、中に収められているお経を全部読んだと同じ功徳が得られるという、ありがたいお堂なのです。
 最近この寺の話題は、なんと言っても福岡大仏でしょう。昭和六十三年から四年の歳月をかけて完成したこの大仏は、高さ一〇・八メートル、重さ三〇トン、光背の高さ一六・一メートル。木造座像では日本一の大きなお姿です。後壁には五千体もの小仏が彫られ、オフィス街にあって別 世界を現出しています。浄土のようなこの空間で癒される人々も多いことでしょう。一〇・八メートルという像高は、人間の煩悩の数一〇八によって定められたとか。
 大晦日、博多の街にも、人々の迷いの心を消し新しい年の幸せを願う、一〇八の除夜の鐘が静かに響きます。

東長寺
【除夜の鐘】
 一年の終わりと始まりに日本中を駆けめぐる音。それが除夜の鐘です。心を落ち着かせて耳を澄ますと、一定のテンポで強弱に撞かれていることがわかります。まるで指揮者のいない永遠の音楽に聞こえてくるから不思議です。
 最近では夜の十二時から鐘を撞き始める寺も増えましたが、正式には大晦日に一〇七回を、最後の一回は年が明けてから撞くのだそうです。一〇八回を丁寧に撞いて、一年間にたまった煩悩を、深く力強い音の振動で振り落としていきます。
 梵鐘をじっくり見ると、イボのような突起に気がつくでしょう。音の余韻を生む「乳」です。数が一〇八個の場合が多く、室町時代後期から流行した日本特有のスタイルといいますが、一〇八煩悩をなぞらえた「乳」の数と聞くと、ご先祖さまたち遊び心に笑みがこぼれてしまいます。
 今年も年が暮れようとしています。鐘の音が届く頃、一年を無事に終え、また新しい年を迎えられる幸せに感謝を捧げたいと思います。

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