2001年【葉月号】
vol.10

 リバレインの横を流れる博多川は近年すっかり浄化され、川べりはセーヌ川畔かと見まがうばかり。のんびりベンチに腰掛けたり、肩を並べて楽しげに歩くカップルの姿も見られる。対岸の中洲は九州一の歓楽街。夜ともなれば、赤い灯、青い灯の蔭に全てを呑み込んでしまう。
 よりモダンに、より賑やかに。発展を続ける町の片隅にそこだけ時間が止まってしまったような一角がある。
 「飢人地蔵」
 今から二百七十年ほど前の享保年間。名将軍といわれる徳川吉宗の治世。西日本一帯は大飢饉に襲われ、福岡藩も壊滅的な状況に陥った。
 長雨に続くウンカの大発生で、ほとんどの稲が腐り、それに追い打ちをかけるように牛馬の伝染病が流行った。冬になると多くの餓死者がでて、路上にも行き倒れの死体がころがり、まさにこの世ながらの地獄絵だった。餓死者は全国で二六四万五千人。博多では人口の三分の一の六千人が死亡したと伝えられている。
 餓死した人々の遺骸は、当時まだ人家がなかった中洲に集め葬り、後にそこに地蔵尊をまつって霊を慰めるようになった。
 今でも飢人地蔵には花や線香が絶えず、また毎年、八月二十三・二十四日には、上川端町の人々が施主となり盛大な施餓鬼供養が行われる。 初盆の家から納めた提灯が川面 を飾り、あめ湯のお接待などで賑わう。二十四日は花火や灯籠流し。
 ゆらり、ゆらりとたゆとう灯は、こんな時代もあったのだと、語りかける昔の人の魂。豊かさに浸りきっている今の世の私達の心の扉を、年に一度、そっと叩いてくれるのだ。


【飢人地蔵】旧玉屋前を通って、キャナルシティ方面 への博多川沿いにまつってあります。
【風流の準備】
 暑いからって、何も考えず、ボーっとした頭でいるのじゃぁ、ますます暑いばっかり。
せめて、風流を味わって、頭の中をスッキリさせたいもの。
 風流を味わうには、やっぱり歳時記。時の経過を「もの」であらわすテキストですものね。
 歳時記といっても、いろいろでね、「お祭り歳時記」「味覚歳時記」に「手紙歳時記」…etc.
目移りするほど、楽しいものがたくさん。毎日の生活で、いついつ何時、どういう儀式や慣習をすればよいのか、目安を教えてくれるのです。ちりばめられた言葉達は、雰囲気、十分。
粋に使って、風流を味わいましょう。
 竹床机、団扇片手に冷やし瓜。真夏の夕暮れに、涼の想像をくすぐられたら、もうけもの。
歳時記とともに暮らすのって、なんとも風流ですよ。

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