2001年【長月号】
vol.11

 九月、放生会で賑わう筥崎八幡宮の一の鳥居(重要文化財)をくぐって、玉 垣内に入るとすぐ右手に、由緒ありげな石塔の周りを造園した一角がある。
 まず目につくのは、上に「唐舩」と刻んだ細長い石碑、下方には、
   箱崎のいそ辺の千鳥親と子と啼きにし声を残す唐船
という、仙がい和尚の歌が彫ってある。
 「唐船」は箱崎を舞台にした能。
  船争いで捕虜になった中国人祖慶官人(そけいかんじん)は箱崎の何某に仕え、牛馬の野飼いで暮らしをたてていた。祖慶には日本人妻との間に二人の子もでき、十三年の歳月が流れた。ある日、中国明州(寧波<にんぽう>)から中国に残した二人の息子が、身代賠償のための宝を持って、はるばる父を引き取りにやってくる。箱崎殿は、身代金をもらったこととて、快く祖慶を引き渡したが、日本子はいっしょに行くことが許されない。日本子は引き留めようとし、唐子は連れて帰ろうとする。板挟みになった父は進退窮まり、ついに海に身を投げて死のうとする。これを見た箱崎殿は、「当社八幡も御知見あれ、偽り更にあるべがらず」と言って、五人そろっての帰国を許す。祖慶は喜んで、船の上で楽を奏して舞をまいながら、唐土めざして帰って行く。
 というドラマチックな物語。
物語では日本人妻のことについては全く触れていないが、ここには、祖慶が腰を下ろして妻との別 れを惜しんだという夫婦石もある。その後にある大ぶりの塔が唐船塔で、唐子が、もし父が死んでいたら墓にしようと運んできた石塔だと伝えられている。
 平安時代末、箱崎一帯には、かなりの規模の中国人の居留街ができ、さかんな対外交流が行われていた。そんな史実をモチーフに生まれた、博多ならではの能が「唐船」なのである。

仙がい画「唐船図」(福岡市美術館所蔵)
【妙薬の菊】
 九月九日は、重陽(ちょうよう)。五節句のうちでも、現在のわたしたちに、もっとも馴染みの薄くなった節句ですが。「菊の節句」という別 名をもち、古には、とくに大切にされた式日だったといいます。
 菊は、奈良時代に薬用として中国から伝えられた花。古く、不老長寿の妙薬として珍重されていました。菊の露を飲み続けて、八百年もの長寿を保ったという「菊慈童(きくじどう)」の故事にあやかって風雅な秋に菊花をとりいれた、平安貴族達の様子が伝えられています。
 新暦の九月上旬といえば、残暑厳しい頃。しかし旧暦の重陽は、まさに菊の咲き誇るとき。やがて訪れる厳冬に向かって、束の間の安らぎにまどろむ節句と言えましょう。
 愛でるだけではなく、干して枕に入れたり、酒にしたり。はたまた、懐石料理として食らったり。仄かに苦く甘い色香は、世のはかなさを嘆き、永遠の命に焦がれた古人の想いと重なります。どことなく切ない秋晴れの日には、それが一層感じられるのです。

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