石村萬盛堂の
歴史とエピソード
「オッペケペー!」
川上音二郎との
ご縁で博多の地に誕生。
明治38年(1905)年12月25日、
川上音二郎の家屋にて、
石村萬盛堂は商いを
はじめさせていただきました。
川上音二郎といえば、
「オッペケペー節」で知られる
博多生まれの新劇の祖。
明治時代にアメリカやヨーロッパで
歌舞伎を披露し、
世界から賞賛を得た人物です。
語感が気持ちいい
「オッペケペー」のくだりから飛び出す
リズミカルな言葉から
“日本最古のラップ”とも言われています。
そんな大変な変わり者だと
言われる音二郎が、
創業者 石村善太郎の人柄を
大変気に入って、
何かと力を貸してくれたと
伝えられています。
人の前で踊るなど芸事に親しみ、
人を喜ばせることが大好きだった
創業者の石村善太郎だからこそ、
菓子業という新たな挑戦を
応援してくれたのかもしれません。
人が角いものを作るなら、
こちらは丸いものをつくれ
鶴乃子は卵のような丸い形をしています。
そして鶴乃子を詰める箱も
100年以上前から卵型の丸箱です。
創業者の石村善太郎は、
「競争はするな勉強をせよ。
人が角いものを作れば
こちらは丸いものを作れ」
とよく言い、
人と争わず共生しようとする
こころを持つこと、
人の真似をせず独創的な菓子づくりをするを
信条としていました。
その精神から生まれたのが鶴乃子であり、
鶴乃子を入れる卵型の箱です。
砂糖がなくても
菓子屋がやれるか
昭和20年終戦後、敗戦という状況のもと
2代目の石村善右は、
焼野原の博多で菓子業を再興しようと
奮起しました。
そして終戦4ヶ月後の12月には
中対馬小路の創業の地の近くに、
茶亭鶴乃子を開店することとなりました。
砂糖がなかなか入手できない中、
創意工夫をして芋をつかった
お菓子を提供して、
敗戦で疲れ果てた人々に
喜んでもらいました。
お菓子は贅沢品ではなく、
心を満たす明日への活力に必要なもの。
そんな思いでお菓子づくりを行っています。
博多祇園山笠「追い山笠」の
廻り止めにある、
石村萬盛堂本店
店舗内からもよく見える、
博多祇園山笠「追い山笠」タイム計測所。
1年間を通して7月15日の早朝だけ開き、
櫛田神社の神職、宮総代、
幸田時計店の計測係のみが
登ることのできる計測所です。
追い山のある日だけ
建物からせり出す仕掛けで年間を通し、
お客様皆様に山笠の賑わいを
感じていただける、
そんな造りにしております。